裁くのは神様


今日はちょっとまじめな話。

宗教の話になりますが、最近感じたことを書いてみます。



モロッコ人は結構見栄っ張り。
自分の事を良く思ってもらいたい。
そして、人の悪口を言う人が結構多い。

陰口が多いかっていうと、そんな陰気な感じではないのですが、
「いい人」か「悪い人」の2種類にきれいに分けて考えている節がたびたび見られる。

なんともスッキリ簡潔ですが、人間そんな簡単に分けられるものでもありません。
とっても良い人でもうそをつく事はありますし、出来心ってのもあります。
盗みをする人にもその人なりの正義があったりします。
世の中複雑なんです。

でもモロッコ人の友達と話していたりすると、
昨日あんなに「良い人ねーー」とほめていたのに、
次の日「あいつは悪い奴だ」と断言しちゃう場面も珍しくありません。

そういうさばさばした考え方はとっても潔いと思いますが、
「あの人は悪い。ムスリムじゃない! そして私は良い人間で敬虔なムスリムだ。」
と主張している姿を見るとどうしても納得できない気分になる。



私はキリスト教。プロテスタントのクリスチャン。
だから神を信じて、礼拝する。
神様に毎日を感謝し、神も人を愛す努力をしているつもり。

だからイスラム教の教えに同調できる部分も沢山ある。
イスラム教の信仰行為である5行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)のうち、巡礼以外は理解できるし、クリスチャンもそうするべきだと思う。ただ、ムスリムのように義務づけられてするわけではないけど、日々の生活の中で信仰を告白し、礼拝をし、他人に与える事は教えられてきたし、思いがあって断食する人もいる。



話がそれたけど、そいうことで私はムスリム達と同じ神を信じているわけだけど、

自分が良い人間で、正しい事をしない人は悪い人間だとはとてもじゃないけど言えない。

自分が天国に行けるかも分からない。

それは神様だけが知っていて、人間を裁くことが出来るのは神様だけだから。

もちろん、私も人の文句や愚痴を言ったりはするし、人に怒ることもある。
だけど基本的に他人の人柄を否定するような事は言えたもんじゃない。
それは人を裁くことに繋がるから。

けど、モロッコの人は結構軽く人の人格を否定する。
あんまり考えて言ってるわけではないと思うけど、それを聞くと私はとても違和感を感じてしまう。
どんだけ人を悪い悪い、あいつは救われないとか言っても、それは神様にしか分からないじゃない?
いつも神様はいつも見てるって言ってるのだから、悪い人は神様がどうにかするっと考えれば良いじゃない。そんなに人のこと否定してる自分は何様じゃ?!と思ってしまうのであーる。


そしてどうして「自分は良い人間だ。」と確固たる自信を持って言えるのか。
それは、イスラム教の信仰行為、5行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)があるからだと思う。
ムスリムはこの5行を大切にし、毎日5回の礼拝も守ろうと努力している。

私はお祈り中に寝ちゃったりするし、モロッコに来てから教会にも行ってないので、
ムスリムから見たら超ダメなクリスチャンだろうなー。

だからこそ、モロッコ人の5行を守ろうとする努力はすごいと思う
(祈りのために朝5時に起きたりするし)。

だけど、この5行さえしてれば敬虔なムスリムと言えるのか?

その行為だけで神様の救いが獲得出来るのか?

それがただの習慣や義務に成り代わってしまったら、心が伴わなくなったり、高慢になったりしてしまうのではないかなーと思う。そして自分が良い人間宣言に繋がるのかな。

でも実際、5行を守る誠実さとか尊敬するし、
根に持たないスッキリとした性格好きだし、
こんな私にも家族のように扱ってくれる、モロッコ人の優しさはありがたい。


ただ、「人を裁く」事について考えてたらこんな気持ちになったのです。

ちゃんちゃん。
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by sweet_fish421 | 2010-05-29 07:41